<アミューズ>

「市場」が無いと、金をふんだくる事も出来ずに只、ただ、寝て過ごす日常になるのだが、
夏休みを兼ねての3連休で、地方から上京してくる友人も多い
土曜日は、そんな友人と久しぶりに合う機会があったので徒然に。。。。。。。

<前菜>

友人と逢うと言っても、私は、大体「酒飲み」では無いし、大体が、「旨いモノ食い」が殆どなので
相手も、「東京の旨いモノ」を久しぶりに堪能したいと言う事もあるので、当然、どこかの食い物屋になる訳だが、
それこそ、私等は、毎日”株三昧”の生活でしかないが、皆様は社会でそれなりの評価を受ける職場で働いておいでなので、勢い、「武家天奏」の饗応役宜しく、神経を注ぐ事になる訳で(w
事前に”お話を承って、どんなモノをお口にお運びになりたいのか、探りを入れる訳で”
今回は、「小ネズミ総理の大好きな中華料理店(六本木の中国飯店)も良いけど、恵比須のフレンチも捨て難い」とのたまって下さったので、
恵比須に食べに行く事にしました。

<魚料理>

つうことで、我が家で待ち合わせをして、向こうの土産を頂き、また、こちらも”お土産”をお渡しして、 目的地をおツゲする訳だが、
”お土産”は、決して、御本人の嗜好に合わせたものでは無く、昨年、迎えられた”奥様の御嗜好”に好ませたもうモノを御用意する
と、書くと、相当な気の遣い様なのだが、
何の事は無い、”奥様”にも胡麻を摺って於かないと、何せ、”野郎二人でフランス料理”では、
「私の事はナイガシロで、フランス料理?」となりかねないので、まあ、その辺は、先手を売って置くと(w
今回、御用意した「お土産」は、「陶器に入った、キャビア風のチョコレート」
せめて、この様な、”都”でしか入らぬ菓子などで、文化の薫りを味わって頂ければ、と

と言う、事等を話しつつ、地下鉄で恵比須へ。

3連休という事も合ってか、客は我々だけの貸し切り状態だったが、土曜日でそれもナンだかな?と
恵比須と言えば「タユイバン=ロブション」が店仕舞いをすると言う事なので、
一見、華やかな雰囲気はあっても、「銭を落とす話」はまた別の事か、と思わずにいられなかったが、

今回のオーダーした”Menu”だが、

「フレッシュフォアグラのブリオッーシュ」
「アカザ海老のスープ」
「子羊のロースト」
「タルト=タタン」

いずれも、アラカルトで頼んだ。
料理の内容は、問題は特に無いのだが、
店を出た後、2人で顔を見合わせて、「アカザ海老のスープ」と言って言葉を落としてしまった。
この店の”うり”の「アカザ海老のスープ」なのだが、本来3200円の定価(2年前?)が2200円になっていたので少々、イブカシかったのだが、
口を付けて:「う、海老の濃さでは無くて、バターの味か、、、、、、」と
勿論、それは、不味いとかそう言う事では無く、”商品”として素晴らしいモノだが、
その味を”我々2人”が求めていたのか?と言えば、そう言う訳では無くて、
私達は”3200円払って、半分の量”でも良いから、”あの味”が食べたかった、と。
この不況の折り、値段を据え置きにして中身を「軽く」する事も致し方ないのだろうが?
どちらかと言うと、その店のスタイルとしては「ヌーベル=キュイジーヌ」の様に、”軽め軽め”と言う事では無く、「エスコフェ」の様な”クラシックスタイル”を感じ取って、貴重な店だな〜〜等と言っていたので、その辺は、まあ、ナンとも言えない心境なのではあったが
「看板メニュー」をして、そこまでしなくてはいけない今の現状も何やら、、、、、、、と
まあ、その店が潰れてしまっては元も子も無いので、あれだが、
「フレッシュフォアグラ」の火の通しも素晴らしかったし、「子羊」も美味しかったので、食事自体は満足でした。
特に「フォアグラ」と言う事に関しては:「フォアグラのショーフロア」と言うモノがあって、「口の中でサラリと溶けさる」と言われるのだが、正にそんな感じで、”一瞬だけの幸福感”でした
と言う事で、総体的には技術のレベルも落ちて無いし(それはアカザ海老も同じ)、訪れて、”新しい感動”に出会えた(フォアグラ)事も満足なのだが、
先の「タユイバン」の撤退とも絡むのだが、バブル期に登場した、華やかな料理や、スタイルと言ったモノの中で、我々は一体どれだけのモノを”モノにした”のだろうか?
確かに「口の中で一瞬で溶けさるフォアグラの感覚」「濃厚な海老の殻の味とバターが織り成す毛織り物の様なスープ」等、我々の舌の記憶には残って行くものもあるけれど
それは、本当に数少ない事であって、
そう言った技術、それを支える人たち、そう言うものがあって始めて文化は成り立ち、続いて行くと思うと、
その店の「味」とて、何時迄味わえるのかシラン?と思ったりもする
結局、バブル期を経ての我々は、「メセナ」と言った腐れ活動はあったにせよ、何にもなって無いのね〜〜♪と。

<お口直しのグラニテ(ちょっときつめのコアントロー仕立て)>

と食い物の話を借りては見たけれど、
さっきの「アカザ海老のスープ」、少々、面白い”見立て”も出来るので、御登場頂くに、
「@3200で食べたいアカザ海老」ではあっても「@2200では食べたく無いアカザ海老」だったりするのは、
「@5000で買いたいソフトバンク」ではあっても「@800では買いたく無いソフトバンク」でも有る訳で、(ソフトバンクをUFJに置き換えても可)
我々は、「安いもの」を安い時には「買えない」と言う事が往々にあって、「高くなってから」それを熱烈に欲しいと。
勿論、それは、「アカザ海老」も「ソフトバンク」も、「前の高い値段」があっての「安値」であるから、買えないのであって、 それも理由無しとはしない
しかし、買い難きを買うと言うのは株式の良くある”定石”であって、:「下がって弱気:上がって強気」と言うのは改めていけませんナ〜〜〜と、思ったり(w
但し、決定的に違うのは「@2200のスープ」は飲んでも満足出来るかは微妙でも、「@800のソフトバンク」は”満足できる時”は来ますね?と

<肉料理>

さて、食事は終わっても未だ、お開き迄は時間があったので、近くの喫茶店で「お茶」を。
そこで、四方山話となる訳だが、
今回は、”とある相談”を受けた
それは「株をしてみようか?と」

正直、意外だったのだが、その動機を聞いている内に更に”意外感”は訪れる
彼は「公僕」なのだが、その彼をして、「まあ、色々と不安もあるしね?(w」と
まあ、「公僕の退職金が、年率カットになって」「我々の同期の公僕達」が「退職金なんか、俺等が貰う頃なんか今の半分か3分の1」と言った事を聞かされてはいたのだが、
連中にしても、その辺を意識せざるを得ないと言うのもね?(笑)

確かに、「自分の財形」を「貯金だけで無く」「運用」と言う形で「株」や「債券」で、と言うのは、
それが、正しいか?間違っているか?はともかく、ある種の「流れ」であろうし、
直近の「7900円台」が”全体相場”の大底と言う認識からしても、”一つの良いチャンス”では有ろうが、
私個人は、「普通のサラリーマン」が「株をやる」と言うのは”それなりの覚悟”をして参入して下さいね?と思っている
勿論、今迄「がっちり、どっぷり染まっているサラリーマン諸兄」は除いての話ではあるけれど、

以下の様な事をクリアーして行く”心構え”が無いなら、やらない方が良いと思っている

1)株式市場は「ハンデは一切無い」
「集団としての面白さを追求するサラリーマン社会」では、誰かが失敗をしてもそれを「埋めてくれる場合」が多々有る。
また、「組織性」ゆえに、「順当に出世した人間」は「管理者」として「自分では無く、他人を働かせて報酬を得ている」訳だが、
”株の世界”では、”誰もが一兵卒”であって、「誰も失敗の穴を埋めてくれる訳では無いし」(埋めてくれる程の名家ならば良いですが)
「ピラミッドの上層」にいるからと言って、それの”旨み”は株式市場では通用しない

2)参加者のレベル
我々、毎日ザラバを追っかけて、粉骨砕身している者達を含めて、それなりに「勉強」したり「研究」したり、と決して、”運”や”偶然”でやっている訳では無いし、
「金融世界」も日々進歩して高度な知識、技術を伴うモノになっているので、その辺は、やはり「勉強」が必要だと言う事を認識出来るか?と言う事

3)「金銭の体感の度合い」
例えば、現実の世界で「1万円」あれば、それこそ、1週間位の生活費として十分だったりする訳だが、
その感覚を「株」で引っ張るかどうか?と
良く「損切り」の云々が言われるけれど、「100万投じて1万マイナスが出た場合」
通常の感覚では、「1万のマイナスは大きい」と言う所では無いだろうか?
しかし、我々(多分ね?(W))の感覚で言えば、「1万の人質(マイナス)の為に他の99万が拘束される」事は恐ろしい愚作であるし、
そもそも、「その100万を有る、銘柄の株を買った」と言う認識では無くて、「その100万を使っての次の1万、2万を生み出す為の”道具”」と言う風な感じでしか見ていない
この感覚差は、相当な乖離があるもので、株に参入したばかりの段階では、そこまで「合理的」に見て行く事は、難しい

4)「短期か長期か」
この事を聞くと、必ず、これから参入する人の多くは「長期」でと言う事を答える事が多い。
しかし、「長期」でと言っても、「短期」で利益が出れば、売りたくなる事が殆どだし、
「1回株を買ったら、5年位存在を忘れるならともかく、買ったら、毎日、それこそ、休みごとに気になってしまうのに」
「長期投資」が如何に難しいか?を(勿論、その長きに亘る「国策」や「環境」の変化と言った事をも含めての事)を想定していない場合が多い

5)「株をギャンブルと同視」
何れの世界であっても、「その世界に通じる原理、原則」が有る訳で、それを受け入れる事が可能か?と言う事
先の1)の話にも関わるが、株の世界は「集団としての面白さ」とは違う世界なので、「集団としての世界の居心地の良さ」が好きな人には”辛い世界”だと言う事を受け入れる事が原点になる。
そう言う事で言えば、良く、「株はギャンブル」と言うフレーズを見かける事があるけれど、
その考えを「持つであろう」或いは「持っている」ならば、考え方を変えてからでないと株をするのは止めた方が良いとおもう
細かい事ではあるけれど、「ギャンブル」とは「偶然の所為」によって「事の正否」が決まるものであって、
「(突発的な事象が起こりうる事を否定はしないが)人の所為」によって「事の正否」が決まる「株」とは異質なものである
確かに、「人の所為(売買)」とは言っても、それをもたらす様々な要因が、我々一般の通念では理解が難しい事や、その時点では分かり得ない事象が背景にあることも事実なのだが、
それは、「相手があって成り立つ市場」における彼我の差がもたらす事であって、「ギャンブル」とは全く違うと言う事を理解した上で望んだ方が良いとおもう
そもそも、「金を稼ぐ」のは大変なのは百も承知で働いているであって、「株で金を得る」のだって、それと同じくらいシンドイ事だと言う事に思いが至らないのであれば、本末転倒言わざるを得ないし、
誰だって、株で最初から儲かった訳でなく、それなりの苦渋を舐め、勉強して、悔しい想いをして、その人なりの技術を見つけての事なので、
それを「ギャンブル」として「偶然の所為」が支配するものだとして「株式の世界の原理原則」をないがしろにするならば、それは、その人が、株で儲けると言う世界を否定するものだから、それならば、やらない方が良い、と

と、まあこんな感じの事なのだが、

その時、紅茶を飲み飲み、かいつまんで語っていたら、小1時間程、独演会状態になってしまった(w

<デセール>

ま、上での事を、事細かに納得頂いたか?は定かではないし、
そもそも、これは、実際に「やってみて得心」する事が多いので、言われて分かる事でもないし、 それに、私以上に、知的レベルの高い人なので、「いきなりプリべに突っ込む」様な事を考えてやる訳でもないだろうから、
何か、「株」について困った事があれば、適宜お話すると言う事にはなるのだろうが(w

結局の所、「我々の様なザラバ三昧」の人間と「これからやろうと言う人」の恐らく、多くを占めるだろう違いは、「株」を「ストック的」なものとして捕えるか?「フロー的」なものとして捕えるか?と言う事なのだと思う
私の様に独り者で、別に所帯を持つつもりも無く、日々、株三昧、後は、旨いモノが毎日食えればそれでいいや、と言う人間からすれば、「どれだけ狩れるか」がポイントになるけれど、
彼のように、所帯を持ち、いずれは「教育資金」「家の資金」等を考えていって、「どれだけ用意できるか」がポイントになってくるだろうと思う
まあ、その辺は、私が良く書く”フレーズ”の「拠って建つ立場」の差と言う事には帰着するとは思うけれど(w

<プチフルールとコーヒー>

「バブルの所産」である「タユイバン」はもう直ぐ、店仕舞いをするけれど、それと入れ代わりに「新しい時代」はもうそこ迄来ているような気もする
直近、「企業再生」や「不動産証券化」に関連する銘柄が活況を呈している
それらは、何も値動きが良いからと言う事ではやされている訳でも無い、
それらの企業がもてはやされて、活躍の場を迎えつつあると言う事は、間違い無く「バブルの整理の終演」が近付いて、新しい「出し物」の準備が整いつつあると言う事でもあろう
残念ながら、日本は、バブルを経ての変化で、「集団としての面白さ」を追求するだけでは生き残る事が難しい世界になってしまった
それまで、「組織」に忠誠を尽くす事の見返りとして与えられて来た様々なモノを、「組織自体」が与える事が難しくなって来ている、
それは、単に「1企業」だけの問題ではなくて「日本株式会社全体」の問題として顕在化しつつ有るのも、また言を待たない
勿論、それを受けて、「再組織化」「再社会構成化」を進める動きが出てくるのだろうけれど、
社会の内容が緻密になる一方で、ネットの浸透で情報の遍在化の相対性や、同時性が進んでしまっている以上、一度崩れてしまったバランスを取り戻すのは難しい
かって、ゴーギャンが「何処から来たりて、何処に行くのか」と言っ様に
それが、分からない今だからこそ、様々な価値観や表現も溢れ入出て、実はもっとも自由な時代を謳歌していたりして等とも思う
10年前のバブル期の「金融」「不動産」は、その当時の「30代、40代」の将来の我が国を担う「金持ち世代」を潰してしまった
そう言う凄惨な時代を経ての「今の30代、40代」の人間は(別にその範囲以外の人間がどうの、と言う事ではなく)、「金融」「不動産」に対して、どのように対処していくのだろうか?
「集団としての面白さ」は半減してしまったかも知れないが、その分、知識、技術で強力な装備をした個人が伍して行くのであれば、それも良かろうと言う気がするし、
暗黒時代を経験した甲斐もあったと言うものかな?とも思う
ただ、一つだけハッキリと言い得る事は、
「株」「債券」「為替」と言った、「金融云々」の比重は重くなる事こそあれ、軽くはならないし、
「集団としての面白さ」の時代ではないので、「良い生活」をしたいのであれば「金融云々」を使っての個人プレーは避けられないと言う事なんだろうな、と

「バブル期に出た:「影響力の代理人」を読みながら」

マエストロの株式ボナセーラ




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